<< ノリノリだった 早く寝て明日の頭の回転を良くしたい >>
内田先生の本から覚書
『子どもは判ってくれない』内田樹著 文春文庫より抜粋

● 本が読む ●
 「私が本を読む」というのはいささか自己中心的な表現だと私は思う。
 本が私を選び、本が私を呼び寄せ、本が私を読める主体へと構築する。
 私はそのように考えている。

● 論理的な人と理屈っぽい人 ●
 よく「論理的な人」を「理屈っぽい人」と勘違いすることがあるが、「理屈っぽい人」と
 「論理的な人」はまったく違う。
 「理屈っぽい人」は一つの包丁でぜんぶ料理をすませようとする人のことである。
 「論理的な人」は使えるものならドライバーだってホッチキスだって料理に使ってしまう人
 のことである。・・・・
 「今の自分の考え方」は「自前の道具」のことである。
 ということは、「そのつどの技術的課題にふさわしい道具」とは、「他人の考え方」のこと
 である。
 「自分の考え方」で考えるのを停止させて、「他人の考え方」に想像的に同調することの
 できる能力、これを「論理性」と呼ぶのである。

● 「嫌いなこと」を言葉にできない人には未来はない ●
 つまり、はたから見て「好きなことをやっている」ように見える人間は、「好きなこと」が
 はっきりしている人間ではなく、「嫌いなこと」「できないこと」がはっきりしている人間なので
 ある。・・・・
 自分がなぜ、ある種の社会活動について、嫌悪や脱力感を感じるか、ということを
 丁寧に言葉にしてゆく作業は自分の「個性」の輪郭を知るためのほとんど唯一の、きわめて
 有効な方法である。

● 目からウロコの愛の心得 ●
 「愛する」というのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係ではなく、
 「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係を築くことなのである。
 それ以外のどのような人間関係も「愛」という言葉には値しない。私はそう思う。
by artigana-g | 2008-10-18 23:46 | MODE | Comments(2)
Commented by erialie at 2008-10-20 00:45
判ってくれない相手は、子供に限りませんね^^。
Commented by artigana-g at 2008-10-20 18:34
erialieさん
先生は学生に向かっておっしゃっているようですが,
学生では難しいのではないかと思います.
おとなだって判らないですね.
内田氏の,言い切っているところがいいと思います.
名前
URL
削除用パスワード
<< ノリノリだった 早く寝て明日の頭の回転を良くしたい >>